堤焼とは
  • 「堤焼」とは

    かつて堤町(仙台城下の北端、現・仙台市青葉区)に窯場があったことから、その名がついた「堤焼」。
    1688~1704年(江戸・元禄年間)ごろ、守備隊として配置された下級武士達の副業として開窯したと伝えられています。
    四代藩主・伊達綱村が江戸から陶工・上村万右衛門を招いて指導に当たらせました。
    茶道に通じた仙台藩主の器などを作る御用窯としてはじまり、後に甕(かめ)や鉢、皿をはじめとする庶民の生活雑器を生産するようになりました。
    粗く優れた地元の土を活かした素朴さと、黒と白の釉薬を豪快に流し掛けた“海鼠釉(なまこゆう)”が特徴です。
    昭和初期に堤町を訪れた民芸の父・柳宗悦にも東北を代表する民窯として注目され、水甕(みずがめ)などが高く評価されました。
    最盛期には30軒を数えましたが、今では「乾馬窯」が唯一の窯元となり、丸田沢(仙台市泉区)の緑豊かな環境に場所を移して伝統と技を守り続けています。

    海鼠釉の水甕

  • 「乾馬窯」とは

    地元の名工として知られた初代が、仙台に招かれた江戸の陶工・三浦乾也(六世・尾形乾山)に師事、“乾馬(けんば)”の陶号を授かったのが「乾馬窯」のはじまりです。
    この時書き写すことを許された秘伝書『乾山秘書』をもとにしながら、仙台の土と釉薬を使ってこの地の風土に根ざした焼物が生み出されました。
    それから現在、五代乾馬とその家族達の代にいたっても一貫して、地元で採れる土と釉薬にこだわった作陶を続けています。
    <昭和57年12月指定、宮城県伝統的工芸品>

    三浦乾也・初代乾馬・山口三平の写真

    初代乾馬が三浦乾也から書き写すことを許された『乾山秘書』

  • 日本遺産「政宗が育んだ“伊達”な文化」

    宮城県の「政宗が育んだ“伊達”な文化」が平成28年度「日本遺産」に認定されました。
    仙台藩を築いた伊達政宗は、伊達家の伝統的な文化を土台に桃山文化や海外の影響を取り入れ、新しい文化を創りあげました。
    そしてその文化は政宗だけに留まらず、後の藩主、武士や庶民にいたるまで、さまざまな方面へ広がり、定着し熟成されていきました。
    仙台藩の御用を務めた御職人たちが担っていた工芸品は、仙台城下の職人に引き継がれ、今日でも伝統工芸品として生き続けています。

    堤焼乾馬窯も「“伊達”な文化」の一つとして、その伝統と文化を後世へ伝えていきます。

    「日本遺産」とは
    文化庁が地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定。
    ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の文化財群を総合的に活用する取組を支援するものです。

    日本遺産「政宗が育んだ“伊達”な文化」