堤焼とは

かつて堤町(仙台市青葉区)一帯に窯場があったことから、その名がついた堤焼。
茶道に通じた伊達藩主の器などを作る御用窯として江戸時代にはじまり、後に甕や鉢、皿をはじめとする庶民の生活雑器を生産するようになって300数十年の歴史を持つ。
粗く優れた地元の土を活かした素朴さと、黒と白の釉薬を豪快に流し掛けた"海鼠釉(なまこゆう)"が特徴で、昭和初期に堤町を訪れた民藝の父・柳宗悦にも東北を代表する民窯として注目され、水甕などが高く評価された。
最盛期には30軒を数えたが、今では「堤焼乾馬窯」が唯一の窯元となり、丸田沢(仙台市泉区)の緑豊かな環境に場所を移して伝統と技を守り続けている。

海鼠釉の水甕

「堤焼乾馬窯」は、地元の名工として知られた初代が、仙台に招かれた江戸の陶工・三浦乾也(6代・尾形乾山)から"乾馬"の陶号を授かったのがはじまり。
この時書き写すことを許された秘伝書『乾山秘書』をもとにしながら、仙台の土と釉薬を使ってこの地の風土に根ざした焼きものが生み出された。
それから現在、四代乾馬の家族達の代にいたっても一貫して、地元でとれる土と釉薬にこだわった作陶が続けられている。
<昭和57年12月指定、宮城県伝統的工芸品>

三浦乾也・初代乾馬・山口三平の写真

宮城県の「政宗が育んだ“伊達”な文化」が平成28年度「日本遺産」に認定された。
仙台藩を築いた伊達政宗は、伊達家の伝統的な文化を土台に、桃山文化や海外の影響を取り入れ、新しい文化を創りあげた。
そして、その文化は政宗だけに留まらず、後の藩主に、そして武士や庶民にまで、さまざまな方面へ広がり、定着し、熟成されていった。
仙台藩の御用を務めた御職人たちが担っていた工芸品は、仙台城下の職人に引き継がれ、今日でも伝統工芸品として生き続けている。

堤焼乾馬窯も「“伊達”な文化」の一つとして、その伝統と文化を後世へ伝えていく。

※「日本遺産」とは
   文化庁が地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを日本遺産(Japan Heritage)」として認定。
   ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援するもの。

日本遺産「政宗が育んだ“伊達”な文化」